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テキスト行為によって、私が変性したり、何かを見出したりすることがあれば、それは何らかの魔法陣のようなものとして成立することになります。

それを失敗するよりも、あらぬ方向に成功してしまうことのほうが危険なことかもしれません。呼び出してはいけないものを呼び出すということも構造上はあり得ます。

場合によっては、何らかの公にし難い理由によって、テキストその他の作品行為を中止することもあるかもしれませんが、

人並みの魔力も持たず、まともに生贄にできるものも持たない私に、期待をかけても仕方がないようにも思えます。

もし何か(それが悪いことならなおさら)を成し遂げることができるのであれば、どうして今までに何も何の意味も持たなかったのでしょうか。

もう二度と他人と関わりたく無いと思い続けている人間に、大したことができるはずがありません。人間は関わりあうことによって力を発揮する生き物です。それを放棄した者は既に厳密な意味で「人間」であるとは言えません。

ただ、かろうじて、過去と未来の自分を他人とみなして、彼らと関わるということは可能です。専ら関係性が限定されることによって、奇妙な連帯感さえ生じます。

数人の私が手と手を取り合って、陣を組み、何者かを呼び出そうとしています。その何者かとは、陣を組んだ彼らとは少し異なる私、「新たな」というにはあまりにもささやかな変化だけがある私であるような気がします。