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自分の想いを形にする。どうしても訴えたいことを伝える。そういう切実さを作品にもたせることができません。

私の作品というのは、その時に自分ができることの一里塚、という意味合いがほとんどです。当初閃いたモチーフがあったとしても、それを維持することよりも、自分の頭と指を動くままにすることを優先してしまいます。このテキスト群もそうです。

それは作品行為としては不誠実な態度かもしれませんが、夢見る時の連想で出来た物語のように、自分のちっぽけで信用するに値しない意志とは別の制御によって、何かが生まれるほうが、自分から発せられるメッセージなどよりも、よっぽど重いものであるように思えてしまいます。

また、作品は、私という人間よりも他人に開かれている点が良くて、それをもって作品に自分ではできないことをさせようとしているという意味が含まれているのかもしれません。まず私に対して開かれているという時の「私」は作り手である「私」とは少なくとも時間軸において別人であるために、言い方を変えると、私の作品は他人に開かれているということを、回避できません。

だから私が何か他人に向かって伝えたいことを抱えてしまった時、コミュニケーションを切望してしまった時、作品は変貌してしまうはずです。それが良いか悪いかということとは別に、それは従来のものとはまったく異なる稚拙さと醜さを持った作品になると思います。