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自分の関わる生き物が、全員自分の生まれ変わりであると思えば、彼らに便宜を計ることも厭わなくなりました。

部屋に迷い込んだ虫も逃がしますし、他人に優しい言葉もかけることができます。

それとは別に、「今回の自分」であるところの私が、あまりに悪徳に過ぎるので距離を保っていないとすぐに具合が悪くなってしまいます。

自分本位の考え方をつきつめれば、他人に善い人間であることが最適解になるのは当然かもしれませんが、

「今回の自分」であるところの私に限っては、その最適解が、「別回の自分」であるところの他人と関わらないことであるということも言えます。

船が難破して、救命ボートの定員に一人多い。というような状況を想定すると、

そこに私がいなければ、他の人々が助かる。エレベーターの重量超過についても同様で、そのような意味で私はいないほうがいい人間。または、全ての人間が持っている一定度の「いないほうがよさ」を補うことのできない人間であるということが明らかになります。

同様に、私一人がライブに出演しなければ、参加者も観客も、15分程度余分に、自分の生活時間を謳歌することができるということが言えます。

そこから、私は自分の時間芸術で他人の時間(限られた命)を拘束するよりも、それを放棄して余剰時間を与えることのほうが、よっぽどクリエイティブなのではないか?と思ってしまう種類の人間です。

したがって、私の作品はユビキタスに閲覧でき、鑑賞において時間的拘束などの強制力を持たないものでなくてはならないと思うに至ります。