41

言葉を発すること、あるいは読み取ること、そういったことを総合して「言葉すること」とでもいう行為があったとして、

その行為の愉しみに到達することの困難さを感じます。

まず、常に不十分な知識と経験を拡大させるために、断続的に自分の興味のないものへ手を伸ばさなくてはいけないということの負荷が強く、

疲労感を未然に防ごうとする怠惰の作用が、愉悦を発生させる高みへの道のりを阻みます。


ものごとに十分な興味があったのであれば、既にそれは学ばれているはずのものなので、

ある対象への興味の前に、まず「興味のないものに興味を持つ」というメタ興味、いわば好奇心と呼ばれるものを維持するための施策が必要です。

それぞれの対象が持つ、具体的な良さだけではなく、あるいはそれを超えて、「集める」だとか「広げる」ということそのものを、欲望する状態を維持させるために支払われるコストは莫大なものになります。

ここには当然、体調が関わってくるはずですが、必ずしも比例関係になるとは限りません。全ての病弱な者が、その欲求も縮小させているということではないはずだからです。

私が今維持しようと努めている好奇心の種類は、「無意味なものに意味が生じる」ということへの欲望で、今はそのための手段として頻度や、量というものへ傾いています。

これが何かのはずみで、内容の過剰や、質というものに振れることがあるかもしれませんが、どちらにしても最低限の活動を可能にする程度のメタ性を維持できるよう、権謀術数をめぐらせていこうと思っています。