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人間は個体として存在すると同時に、周囲の環境によって形成される部分を持っています。

人間に限らず、生物に限らず、自己なるものと他なるものの区別というものは、あくまで便宜上のものであって、

そのため必要に応じて一時的に取り払う場合があるでしょう。

旅は、その人の環境を変えることで、今まで既知の環境から、どの程度の偏りと傾きを自己に蓄積したかということを、評価する機会になり得ます。私は、これが旅における「自分探し」の要素ではないかと思っています。

もしもそうだとすると、内省のみによって、旅という高コストの行為に代替できるのかもしれませんが、

環境における偏りと傾きを、別なものとの対比で相対化することは、別の手段で行われる必要があると考えられます。

すると、環境の相対化ができればいいということにも繋がるので、意図的な忘我状態を作り出す装置、映画鑑賞や読書も、それを可能にする場合があります。

以上の理由により、読書や映画鑑賞というものに、環境の相対化による内省という意味において、「旅」と相似する表現を用いられることが多いのではないかと推測されます。