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どうも自分の気づかないところで、何らかの消耗が続いているようです。
そうでなくては、気力と体力があまりにも少なく、それが本来であるとするならば
この歳まで生きているということが難しいはずだからです。

それは極めて個人的な、とりわけ認知に関わる部分であると予想されます。
というのは、もしそれが社会的なもの、物理的なものであれば、
すでに解消したもの同様、わかりやすく存在する消耗であるはずだからです。

ひとまず、朝は音楽を聴くことを控えることにしました。
今週の休みには床屋に行く予定です。
読みかけの本が職場の机を圧迫しているのも、神経にさわります。

あとは生活への不安ですが、これについては、認知行動療法の成り立ちについての本を読んだことによって、
「なんとかなるさ」と思うことに、以前ほど白々しさを感じなくなりました。

かえって、そのように、わかりにくいほど小さなことに患うということは、
何らかの大きな危機が過ぎ去った証拠であるようにも思えます。

吹雪がやんでも雪洞にこもっていては、次の吹雪を待っているようなものです。
おそるおそる外に出て、またほんの少しでも先に、新たな雪洞を作ることを目指します。