昨日の会合についての覚書

 数少ない友人に会って、延々と一方的に喋ってしまっていたことについての備忘。

 世の中には当然、非言語型の人がいて、彼らの豊穣な世界を、自分はとらえることができない。
 意味世界は階層の違うノイズであって、そういったものに気を取られているということは、星の動きに吉兆を読むようなものに過ぎない。

 コストの問題。コストの小さいものから開始するメリットには、開始障壁の少なさと同等に、臨時撤退を容易なものにすることがある。資本の投入はもちろんのこと、対外的なことをキャンセルするのはそれだけで精神的にダメージを受ける。めちゃくちゃなことばかりやって周りに迷惑を掛けてきた人間として、コストの問題を避けたくないという立場をとる。
 ここでいうコストというのは広義で、手間とか、気持ちとかも含む。もちろんお金と時間もコストである。
 一方で、コストのことを気にしすぎて何もできなくなったりはしていないだろうか?ここでは何かをやるという前提で考えているけれど、すぐに日和ってしまうので、そのチェック意識はたびたび持っておいたほうがいい。

 他人と共同制作をするということ。めちゃくちゃに難しく、つらいので、コストのことだけじゃなく、緻密に計画を立てる。僕の好みとしては、お酒を飲まず、言語偏重でやりたいけど、これは相手を選ぶだろう。どんなにまくしたてたり、難しい言葉を並べ立てたところで、非言語の人には都合の悪い部分を見透かされてしまう気がする。

 人の集まりに呼ばれることはとても光栄なことだけど、しゃしゃり出てウザがられる種類の失敗も多いので、ギリギリまで判断を預けることにする。昨日もそうだけど、僕はどうも人前に出ると余計なことばかりを、それも何だか偉そうに喋ってしまう。1対1なら何とか許してもらえることもあるけれど、大人数の場では耐え難く気持ち悪い人間になると思う。嫌われることはどうとも思わないけれど、不快な思いをさせることは回避したい。