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人と関わることがつらくても、本を読むことができるのはどうしてだろうか、ということを考えます。

本に書かれたことだって、他人の意見や主張です。そういったものを吸収すること自体は、苦ではないということになります。

まず思いつくのは、「本を書いた人には私が見えない」という点でしょう。もちろん、感想を公開したり、売上に貢献するということはありますが、読んでいる瞬間、その吸収している時に、相手が私を感じるということがありません。

これは逆の場合も言えるでしょう。私は、自分が書いたブログなどを、あなたが読んでいるということを、その瞬間に感じるということができません。

そこから閲覧数がカウントされたり、感想をツイートされたり、Likeボタンがあるものであればそれでリアクションをされて初めて、「あっ読んでくれた人がいるのだな」と、後で気づくことができます。

この同時性ということに問題があるのかなと思います。というのも、同時性にはループが発生し、ループは増幅を発生させると考えているためです。

直接会話をしているシーンを想定してみると、話し手が受け手に向かって何かを伝えている時、同時に受け手は同等かそれ以上の情報を、話し手に伝えていることになります。

出現という行為からは、ノンバーバルな交流の中で最も膨大で強烈な情報が生じます。さらに出現し合っているもの同士は、瞬時にその影響を与え続ける状態、影響のループ状態に突入します。

すると何が起こるかというと、影響が自走しはじめるのです。n 回目の影響と、n+1回目のリアクションが、理論上無限に往復され、値nも無限に増幅されることになります。これを私は「ループは増幅を発生させる」と表現しています。

会話よりもシンプルなものとして「見つめ合う」ということがあるでしょう。見ているということを見ているということを…と無限にループすることで、その影響が増幅します。ある種の人々(私を含む)が、他人と視線を合わせることに抵抗を感じることには、このような認識が関係しているようにも思われます。

本や記事においては、このループが発生しないか、あるいは発生しても、比較的緩やかであるために、私が耐えられる程度になっている。ということが推測されます。

以上が、私が人と関わることがつらくても、本を読むことができる理由として考えられる内容です。