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どれだけ自分が前向きに、明るくなったとしても、今までしてきた失敗が帳消しになるわけではありません。

それを踏まえると、自分が真っ当に生きようとすることを、妨げる力が働くことを感じます。

他人を傷つけた失敗を、無かったことにすることは、私が逆の立場であるとき、控えめに言って怒りを覚えます。

しかし、傷つけた張本人が、死んだということであれば、これを怒りつづけることができません。

失敗が存在ごと消えた場合に怒ることができないということは、失敗(罪)を犯した人間が、生きているということが、許せないということに由来するのかもしれません。

仮に、私がそういう人たちを許したとしても、それが許しを乞うことの根拠にはなりません。

人が失敗から身軽になるために、信仰の力を借りるという歴史もありますが、私はそれに与するつもりもありません。

唯一できることは、同じ失敗を繰り返さないようにすること。それも決意などではなくて、環境設備によってその可能性を摘むことです。この点においても、私は私の内面を信用することができないためです。

すると、内面の働きによって起こった環境の変化にも、なんらかの抜け道が用意されていることが想定されますが、それでも何もせず、ただ決意を新たにするよりは良いでしょう。