タイムアタック02 穏やかなニヒリズム

学習性無力感についての本を読んでいると、心当たりがあり過ぎて、通説を知って満足するのではなくて、ちゃんと書籍にあたれば、人生を棒にふることもなかったのかと思ってしまう。

一方で、ここまでひどい状態になったことで、ようやく自分の望みである「あんまり人と関わらない」にたどり着いたので、かえって良かったのかもしれない。

あのまま惰性で他人と関わり続けて、そのたびに裂かれるような苦しみを味わっていたら、病気が重くなっていただろう。

さいわい、自分で何かを作るということに抵抗がないので、学ぶ機会のなかった種類の生活を、自分で作っていくことができるし、そのための時間も資源もあるというのは、口にするのが憚られるくらい恵まれたことである。

暗いものの考え方を、いきなり好転させるようなショックを、誰もが浴びられるわけではない。その代わり、ネガティブな考えと行動をも無化させる程、精緻な虚無感を経由してであれば、しばらく後に、その真空へ前向きな考え方を侵入させることが可能になる。

ここで侵入させる考え方は、前向きだとか、ポジティブだとかというよりは、「状況と自己は変化して、それは完全には制御できない」という事実を認めるということに過ぎない。

後ろ向き、ネガティブな考え方は、その中に真実や有用性がある場合もあるのだから、問題はそこで組み立てられた思考が「現況と自己は未来永劫変化しない」という認知の歪みを土台としている点ただ一つなのではないだろうか。

すると、現況と自己がマイナスであると感じることができるうちは、変化が救いとなるけれど、これが現況と自己にある程度満足してしまえば、今度は変化が恐怖になってしまうと予測される。

その段階で、昔取った杵柄ではないが、ネガティブからポジティブへの経路だった虚無感が再び登場し、今度は諦念となって執着を取り払ってくれるのではないかという、期待がある。