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とにかく自分でやろうと決めたことだけを、少しずつ、一人で、しかし全部やっていく生活を送っていると、それまでいかに無理をして社会に参加していたのかが、はっきりと分かります。

他人と関わること自体に適性のない人間が、それを隠しながら生きていくことは、遅からず破綻します。その破綻の種類が、自殺や他害などよりも穏当な、社会からの撤退で済んだことは、私の人生の中で唯一良かったことかもしれません。

これで何かの成果があればいいのですが、成果というものが、そもそも社会を媒体に発生するものである以上、それを期待することはノイズに該当します。ということは、限られた資源を食いつぶす以外に選択肢がないので、現在のような生活を長期に渡り維持することも現実的ではないように思われます。

恥を忍んで在宅ワークにも延々申し込んではみるのですが、無能力は文章からにじみ出るのか、今日までに契約へたどり着くことができません。これも、成果を期待できないということに含まれているのでしょう。

それでも他人と何らかの関わりを持ちたいという感情が無いわけではありません。しかし適性がなければその望みは悪徳と不幸を増幅させるだけです。そこで、少額の寄付を複数先に行うことで、私の性質や人格による影響を封じつつ、他者へささやかな利益提供という形で関わることを図っています。ただ、それも生計にとって負担であることは確かです。

裏を返せば、生活費さえなんとかなれば、この生活を送ることができるということでもあります。そのために生産的なことができればと思っていたのですが、あらゆる分野において、十分な金銭の授受を伴うほどの客観的価値が発生することはありませんでした。

他人を恨むことは、他人とかなり密に関わることに分類されるので、私はそれをすることができません。自らの無能力を嘆くのも30歳を過ぎたあたりで飽きてしまいました。今できることは、短絡的な快楽を連鎖させて、一日のうち意識のある時間を塗りつぶしていくことくらいです。