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今年で33歳になり、それまでに何事も成し遂げることができませんでした。
これからも何もできないということ自体は変わりそうにありませんが、それでも少しずつ、生きづらさは減ってきている気がします。

それは私が失敗を積み重ね、経験から何かを学習できた、ということでは決して無くて、
単に技術革新によって、その恩恵を受けられるようになったためです。
特に思考のための中心的なツールであるアウトラインプロセッサは、日々進化しており、使い始めた頃よりずっと便利なものになりました。

まるで、自分が使えるようなツールの登場を、ただ待つためだけに数十年を無駄に過ごしていたかのような錯覚を覚えます。
自分の能力やその向上を、今後一切想定することができない以上、生活に重要なことはどうやって生活に必要なツールを見つけるかだけです。
さらに、他人との関わりを限界まで減らさないと生きることができない人間にとっては、ツールとの関わりには有用性以上の感情があります。

常に何もしたくない。誰にも会いたくない。どこにも行きたくない。しかし、「何も考えたくない」わけではありません。
その唯一苦しまずにできる、考えるという行為を、何とか行動につなげるためには、自分のためだけに組み立てられたテンプレートとルール、いわゆる「型」が必要になります。

それを自分ひとりで、少しずつ、何度も作り上げようとすることには、快感が伴います。したがって、他の全てのことと同様に、考えることにも何の意味も価値も無いのだとしても、これだけは続けることができるし、誰かにやめろと言われても、やめることができないでしょう。