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緩やかな負荷をかけることによって、平常運転の水準をあげることは、そういう服飾を身にまとうということに近いと思います。脱ぎ着できるものでないと、眠ることもままならなくなります。
10点ブレストという負荷をかけて、自分の思考と生活の増大を図るということについては、一応の成功をみることができました。当初の予定通り100件を毎日10件ずつ投稿することはできませんでしたが、副産物としてテキストすることへの抵抗感の軽減、モチーフから文章を作ることの訓練を実施することができました。
それに何の価値もありませんが、私にとっては、忘我の頻度と深度を高める可能性があります。より自分の世界、世界というか、思考の流れを維持するための筋トレのようなものでした。
これを終わらせた後どうするのかを考えていきます。もはや律儀に100件投稿する必要すらないのですが、それが終わってからはやりかけのことに着手するべきだと分かっているものの、私は自分がやりかけたことを再開するのが嫌いです。過去の自分に責められ続けている感覚がはっきりとするからです。
これを回避する方法は、今回のように、前もっていつ投げ出してもいいと考えることですが、それでも自責の念が強く、これをなんとか和らげる方法を考えます。
一つは取り組み方を変えるということかもしれません。自分の中にあったルールを変えてしまう。それはほとんど、負担を軽減する方向にしか働かないのですが、それでもいいから着手することを優先するということです。
もうひとつは、大きく遠回りをするということです。作業を中断したにはそれなりの理由があって、その殆どが「自分の無能力による忘我状態の失墜」なので、別な作業によって訓練を済ませてから、また再開するということで、これは今回の作業にも当てはまることだと思います。
しかし、いつでも訓練が十分ということはありません。これに加えて設備投資による環境の改善や、時機・幸運も関わってきます。ということは、そのタイミングをずっと「待つ」ということも必要に鳴ってくるのかもしれませんが、それは作業を再開しない最も悪しき言い訳になります。
なんでもいいからやる。という主張を認めることもできません。そういうことを言う他人は「なんでもいいから死んでみろ」と思います。物事の文脈・物語を否定するということは、その人間そのものを否定することになり、少なくとも他人にアドバイスされるものではありません。