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本やネットを通じて、間接的にいくつか、他人の考え方に触れることができています。その中で喫緊の課題である「対価を得られるような活動を見つける」ことの手がかりとして、「自分の好きなことにある『不便』を見つける」というものがありました。それについて考えていこうと思います。

私の好きなことは、一人で何かを作ることです。一つのことに打ち込むこともできないので、いくつかの種類のことを、節操なくやり続けて一日が終わる、ということが理想です。

その時不便に思うことは・・・今は思いつきません。ただ自分の無能力さが悲しいということだけです。

環境は整っているし、強いて言うならマッチングでしょうか。自分がやっていることに、どれだけの客観的な価値があるか分からない(というか、ほとんど諦めている)私でも、作品の依頼を受けることがあります。ということは、もしかしたら世界のどこかに、私のやっていることを対価を払ってでも求めてくれる人がいるのかもしれないという期待がゼロではありません。

しかし、そう思ってSNSへの投稿や寄付のポータルを開いてはいるのですが、Like!や投げ銭を授かることはあっても、生活の足しになるような継続的な対価の授受というものがありません。もちろん今の状態だけでも大変ありがたいことは事実なのですが、このまま今年いっぱいのモラトリアム期間が終わることは私にとっては恐怖です。

一方で、自分の好きな作家さんたちが、生活インフラも維持できない生活をしているというのを見ると腹立たしく思います。それを支援できない自分に対する腹立たしさです。寄付のポータルを開けている方に対しては、数百円の少額寄付をしているものの、雀の涙ですし、そのためにも、私の生活を成立させる必要が高まってしまいます。

大衆向けに作られたものを拒否する以上、自分が好ましいと思うものを作り出すことができる個人に対して、私は少なからぬ対価を支払いたいです。それが私の意思表明の形であることには、ファンメッセージを送るというようなコミュニケーションを取りたくないということも、理由に含まれています。

この辺りに、なんというかビジネスチャンスみたいなものがあるのでしょうか?自分が好きな作家さんを紹介するとしても、私自身が何らかの影響力を持っていなければそれは単に私の売名行為になってしまいます。マッチングのために、自分の知らない作家さんたちの作品を蒐集するということも(ある分野ではやっていますが)負荷がかかりすぎてできる見込みがありません。

とりあえず、もう少し寄付する作家さんを増やしていこうと思います。生活の負担にならない範疇でそれをやって、その中で何か新しいアイデアや、アイデアの種になる「不便」が出てくるかもしれません。