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どうしても自分が生きていることの価値や意味を感じることができませんが、その「感じ」を信頼するということもまたできないので、実際にどうなっているのかは分からないということにして、できるだけ考えないようにしています。

すると、何か行動を起こすということの根拠が希薄になり、相対的に惰性の力、あるいは突拍子もない閃きの力が大きくなってしまい、結果として行動がちぐはぐで、不可解なものになっていきます。

それは側から見れば頭のおかしい人間の振る舞いのように映るかもしれませんが、人前に姿を表さなければそのように思われることもないし、頭がおかしいということは別の意味で否定できません。

すると、量の過剰や不条理、無意味な行動などの反復は、それ自体を目的にするものではなく、なんらかの結果として生じる、あるいは副産物のようなものであると言えます。

狂ったフリをしてみせると面白いのでどんどんそのフリをエスカレートさせていくこと自体が狂っているという場合もありますが、そういった自己目的的な狂いではなくて、仕方のない狂い、なんだかそうなってしまうという狂いという方が、私の抱えているものに近い気がします。