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ずっとネガティブなブレストを続けている一方で、そんな私が一人で考えられる事ごときには、どうせ大した意味など無いのだろうという諦念も抱えています。

ということは、ここで言っていることが全てひっくり返るような事態が発生しても良いということでもあります。

何かの拍子で、なぜか生活の算段が付き、自分が人生を賭けて為すべき事や、生きることの価値と尊厳を、見出してしまっても構わないというわけです。

今以上幸せになっても(あるいは今以上苦しい状況になっても)、今日の考えを維持するというような、意思の強さを私は持ち合わしてはいません。

ただ、変化していく足がかりとして、ここで考えていることを無視できないということはあると思います。不安定で頼りない足場でも、一度踊り場にしがみつくことができたなら、その後に足場が崩れてしまっても、その目的は達成されたと言えます。

そもそも私の考えていることは全て、論理性も整合性も不十分なものです。そのため一切の説得力を持ち得ません。

しかし私は、それでも「考えること」と「それをテキストすること」自体の力を信じてやみません。
その2つの力が自分の衰弱と退化を、ほんの少しだけマシなものにしてくれることを夢見ています。