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一言でゲームを自作するといっても、そのためには国家資格のための勉強以上の時間を費やす必要があります。

このテキストやスケッチのように、極端に低いレベルから徐々に負荷を上げていくということが、私の特性に合っているやり方のようです。

問題は、その「徐々に」が、果たして経済的な生活の破綻までに間に合うのか、ということです。

一方で、今年は従来に比べると最も作業ができている年であるということは認めざるを得ません。

最悪、今年のうちに、次の取っ掛かりを見つけることができなくては、何もしないよりなお悪い結末を迎えます。

それでもいいのかもしれません。自分の浅はかな考えを直すためには、これ以上ないくらい失敗して、再起不能になることしかないのかもしれません。

もしそうだとしても、むしろそうだとしたらなおさら、私は「これ以上ない失敗」とやらを実現してみたいという欲求に駆られます。

私は生活者としても、何らかの形で就労することにおいても、とうの昔から破綻しているのですから、

そのいずれでもない道を進んで、それでも駄目なのであればようやくそこで、生きることを諦めることができるかもしれないからです。

生きることを諦めて生きるということは、具体的にどんな生活を指すのでしょうか、おそらく惨めで、救いのない、筆舌にし難い苦しみにまみれた生活なのだと思います。

しかし、もしそれしか許されていないのであれば、これはもう、そのように生きるのみです。