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技術というのは記憶の特殊な一形態であると考えれば、能力の向上がありえない人間にも、それを獲得できる一縷の望みがあるかもしれません。

基礎的能力というものの大部分がノウハウと呼ばれる知識であって、経験がそのための行動の動線をスムーズにするとき、動作をひとまとめにする単位が大きくなるということ、そこに思考によるチェックを介さないということは、未来に対する信頼や賭け、投機的行動であると思います。

その「ひとまとめ」能力をより強く、早く発揮することができれば良いと思う一方で、そこまで短絡的に思考のチェックを外してしまうということへの懸念もあります。

厳密には、反復される状況というものはありえず、したがって反復される動作が毎回求める結果を生み出すということになりません。小さな変化への思考による即興的な対応は、コストが大きいものですが、そのこと自体、つまり思考すること自体がひとまとめにされる動作に含まれるのであれば、正答率が上がるのではないかと思うのです。

残酷なことに、そのためには10年以上の経験が必要になると思います。それを考えると、私が20代を棒に振ったことが悔やまれます。今から何らかの価値を生み出すことができるほどの、技術の獲得は不可能か、少なくとも考慮することができないためです。

以上の理由から、私は技術の獲得を放棄し、ただ行為することを続けていきます。