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「日本」語といっても限られた環境で土着的に身につけた言語なので、体系的か、そうでなくても客観的な視点での学習をしていないわけで、

そういった曖昧な立ち位置のものを振り回して、自分の思考の痕跡を残そうとする態度は非常に不真面目であるといえます。

一方で、外語のように、文法用法から学んでいったからといって、その言語を真摯に学習したということにもなりません。

高名な詩人の作品を諳んじてみせても、入り組んだ隠喩と皮肉を解き明かしてみせても、同様です。

どんな言葉でも、その言葉で言い表わずにはいられない脳の働きを感じた場合でも、それ以外の可能性がないかを考え続けることが、結果として職業的な水準で可能になったとしても、同様です。

真摯であるかどうかは、言語のような道具をどのように使うのかではなくて、その思考が総体としてどのようにあるか、だからです。

私には真摯さがありません。そのようなことは、ここに書いている文章を一見すれば明らかなことでもあります。