27

一日あたりいくらの収入がいくつの分野で得られれば、毎月の収入はいくらになるので、生活が立ちゆく・立ち行かない・・・というような、いわゆる皮算用が好きで、そういうことに頭を巡らせていると、ゲームやポルノに通じるような高揚感が発生します。

しかし、そのような妄想が現実になることは一度もありませんでした。せいぜいその3割に達成すれば大したものだということで、今はほとんど期待せず、単なる楽しみとしての皮算用をしています。

部屋の片付けやダイエット、自己啓発の本を読んでいるときの高揚感もこれに該当するかもしれません。そういえば確かに「キャリアポルノ」という表現がされているものもあります。

こういった興奮を、なにか別なもの、専ら作品することによって獲得できたらと思いますが、作品行為によって十分に得られなかった興奮を、何か別のことで手に入れようとしている姿勢が、皮算用などの背景に既にあるのかもしれません。

となると、では作品によって今まで以上に興奮するにはどうしたらいいか、ということになりますが、その答えはもう明らかで、「より良いものを作る」ということになります。しかし私は自分の成長を(そんなものはあり得ないので)行動に織り込むことを自らに禁じており、そのような「より良い」というものを想定するわけにはいきません。別な答えを用意する必要があります。

日課として反復することによって、惰性の力を強化する「快楽の訓練」という考え方は、実際に成果が出ているは別としても自分に合っているものであるようです。ただこれは、開始時の精神的障壁を軽減するということが主な効果なので、作業時の興奮の度合いというものを高めるものではありません。

カフェインや糖類の摂取により強制的に高揚感を発生させるということも、もはや欠かせない動作になってはいるものの、反動で体調不良を起こしたり、あるいは常用していると効果が薄まるということもあり、十分な施策とは言えません。

SNSなどに作品を投稿して、リアクションを賜るということも、無視できない動機付けになっていましたが、それが少ないときに甚大なダメージを負うくらいであれば、最初から期待しないほうがいいわけで、現在はできるだけ考慮しないようにしています。

デスクバイクを漕ぎながら作業にあたるということは、これは体温の上昇も伴うので良い方法ではあるのですが、作文以外のことでは使えない手段です。

以上のささやかな工夫の組み合わせに、さらに何か、新しいものを付け加えていくしかないように思えます。効果の大きな方法があったとしても、それが唯一のものになってしまうことには、環境や考えの変化に対応できない懸念があります。