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情熱も、希望も持つことができず、真剣さや深刻さを抱えることもできず、他の誰でもいいどころか、他の誰かのほうがまだいいという人間が、では以上のような理由で、自分の人生を謳歌することができないという、覆しようもない社会の原理めいたものに、憤りを感じます。


一方で、素晴らしい人たち、情熱と希望を持ち、真剣に、時に深刻に、他の誰でも無いその人自身が生きなければならない生を全うしようとする人たちを、私は否定することができません。


世界は彼らのためにあり、また、社会も彼らのためにあるべきだと思います。なぜなら、そうでなくては人類の培ってきたものの価値が曖昧になってしまうからです。


私は、そのような素晴らしい世界から滑落して(はじめから不法滞在だったので当然ですが)、世界とはいえない世界、また、社会とはいえない社会に落ちのびて、そこで日陰の生を薄明かりの中で生きていきたいです。


目下、最も鋭敏に影響が出るところの金銭関係において、残り数ヶ月の猶予期間をどう過ごすのが良いかについて、悪あがきをし続けて未だ助かる見込みがありません。


しかし、その「見込み」もまた、私の濁った頭の中で組み立てられたものなので、どこまで正確なものか、判断できません。都合よく上振れしてくれれば良いのですが、


いずれにしても、自分ができることの矮小さは揺るがないものなので、それならばその虫の頭ほどもない意味の一粒一粒で、こじんまりとした無意味の砂場を作って一人で遊ぶことを選びます。