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他人との関わりを持たない、あるいは関係性を希薄にしたいという理由の一つに、うまく他人と意思疎通ができないということがあります。


間接的な連絡手段(メールなど)であっても、相手の一言一句に、幻覚的な想像を抱いてしまい、ほとんど恐慌状態になりながら返信しなければなりません。

逆に、他人と直接対面しなければならない場合は、これは全力でとりかかります。つまり、全精神力をつかって会話らしいものを成立させようとします。

その場は何とかごまかしきれたとしても、反動で数日間、何もできなくなり、生活に著しい支障をきたすため、友人でも会うのは月1回が限界です。

そんなに大変そうではなかったよ、と言ってくれる方がいたとしたら、私の社会的な擬態は一応の成果をあげていることになるのでしょう。

ともあれ、とにかくコミュニケーションによる消耗がひどく、これを最小限にすることで、何とかささやかな日課を継続できるようになったことからも、一人で何かをしている時間の長い生活が向いている人間なのだと思います。

それに加えて、そもそもの体力が無いので、仮にコミュニケーションの消耗が完全になくなったとしても、できることは、たかが知れているので、


「あまりにつまらないので人がやらないこと」を、「頼まれもしないのに」、「一人で」やり続けることだけが、選択肢として残されている状態です。

それは解決したい問題的な状態というよりは、今まで自分がしてきたことの罰を受けているような状態であるように感じるので、これを打破するのではなくて、

その状態のまま、どうやって自分に都合よく生きていくことができるか、をずっとここで考えているというわけです。

賽の河原で無意味な文章という石を積んでいると、体調不良が襲いかかってきて、その石を蹴散らす、というようなことを、繰り返しているような有様です。