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家族と話していて分かったことに、「他人は私ほど幻覚を見ていないのかもしれない」ということがありました。これが昨日のことでした。

眠りにつくときは、まず映像として幻覚が現れ、それが鮮明になっていくにつれ、音や没入感が起こったころには既に意識を失っている。というのが、万人における「就寝」だと思っていたのが、どうやらそれが「入眠時幻覚」と呼ばれるもので、精神的な不調の時にのみ起こるものであるとされているようです。

しかし、物心ついたころから、夜な夜なカラーで夢を見続けていた私としては、逆に「他の人はどうやって眠っているのだろうか」という疑問を抱いてしまいます。

幻覚が見えるのは、眠っているときに限らず、起きている時も、たいていほとんどは目の前のものについての情報は最小限です。

こんな文章を作っている時も、頭の中のものを「見る」ことに忙しくて、現実世界における情報は最低限、画面に表示された単語に誤入力はないか、そして指は望み通りのキーを叩いているか、ぐらいになっています。

一方で、「見る」ことについてはそれで手一杯なのですが、頭の働き全体はまだ余裕があるようで、音楽やノイズを聴いていないと、過去の嫌なことや、ひどい失敗を延々とリピートしてくるのでつらいです。

人と話しているときも、よく奥の天井を眺めながら喋っていたりして、「まぶたに何かが書いてあるのか」と言われることもあるのですが、あれは何かを見ようとしているのとは逆で、まったく目からの情報を遮断して(というか勝手に遮断されて)いるときの動きです。目の前の人や、文字を見てしまうと目からの情報が増加してしまい、それが頭の中のものについて語る時には逆にノイズになってしまうので、無視してもよい情報をできるだけ目に入れようとして、あまり意味のない、無意識的に遮断が可能である奥の天井とか、誰もいない部屋の隅とかを眺めている、というわけです。