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私が子供の頃、人生というものの重圧から気をそらす装置というものが限られていました。それが今、比較的、鮮烈であったり多種多様になっていることで、飽食の時代になぞらえて言えば、飽知の時代とでもいうのか、そんな新しい苦しみ方のできる世界になっているという気がします。

それをどうすべきか、などということは、専門的にそういうことを職業として考えている人たちの手引きを借りて、各人が自分に合った形の解答を、何度も書き換えながら生きていけば良いだけなのですが、私の場合はどうかというと、これはまず無意識的に陥ってしまった「情報中毒」からの脱却を目指さなくてはならない段階です。

SNSは最高ですが、それは活劇とスナックとしての最高さです。私は人一倍強欲なので、そのような最高さでは満たされ得ないようで、しかし生物的な一個体(それも平均よりもかなり弱々しい)としての制限があるために、60枚限定のデッキを組むように、「SNS閲覧」のカードを4枚から1枚に減らし、代わりに別なカードを組み込んでいこうとしています。

意思の力が弱いために、1日に何度もスリップしているので、相変わらずの中毒者ぶりではあるのですが、意思の力が弱いということは、相対的に習慣・惰性の力が強いということにもなりますので、各種装置の物理的配置であるとか、こうして文字に起こす形で何度も連呼することで(このような反復的訓練は好きではないのですが)、徐々にその占有時間が少なくなっている実感があります。

こうしてできた時間を、別の勉強であるだとか、実利のある行為にあてることができれば理想的なのですが、そもそもどうしてSNSを不必要に閲覧してしまうのかといえば、もう何もしたくない、何も考えたくないというような、精神力の枯渇が原因であるので、休息以上のことはできないだろうと、その点については既に匙を投げている次第です。