自分の欠陥的性質を列挙して、そこから感情的な雑味を抜いて、具体的な行動につなげる

 色んな種類の「働くことができない人」がいて、僕もその中の一人です。

 それが著しい能力の欠損によるものだと、いくら人に説明しても理解してもらえないので、最近ではただの「働きたくない人」とか「ワガママ野郎」と思われようが、もうどうでもいいや、という気持ちで過ごしています。

 さて、僕は今後、働かなくても、なんとか引き続き、生きていくことができないだろうかと考えています。

 なぜ生きようとしているのかというと、自殺すること、あるいは何らかの要因で死ぬことは、たとえ最終的な苦しみからの解放となり得るにしても、その過程の熾烈さやコストから、また、決して逃れることができないという性質からも、精一杯、後回しにしたいからです。

 さいわい、家族と数少ない友人に恵まれており、趣味もいくつかあるので、当面の問題は「いかにして収入を得るか」のみです(細かい問題は色々ありますが)。

 まず、僕の一般的な就労を阻む内的要因として、以下の2点が挙げられます。

①他人と関わりのあること一切ができない
②やらなければいけないことが一切できない

 これらの是非を問うことは置いておいて、ではどのような活動であれば収入を得られるかを、ここ数年考えていました。

 たとえば、一人でうちこむ種類の創作活動など、他人と関わらず、自分のしたいことをするのであれば、可能だということが分かりました。

 しかし、ここで第3、第4の阻害要因が明らかになります。

③何をしても十分な対価を発生させることができない
④体力と気力が社会で想定されている程度よりも極端に低い

 ここまで来ると、公的扶助が必要であるように思うのですが、身内をはじめ、その必要性を認めていただくことができませんでした。

 そこで、①〜④の性質を抱えつつ、かつ犯罪や社会悪に該当しない方法で、生活していく方法を考えていますが、今のところうまくいく見込みはありません。

 とりあえず、①〜④の要因をなんとか別の言い方にしたり、もう少し問題の程度を軽く見積もることができないかを試してみましょう。

①:家族や友人がいるということは、他人と関わりのあること「一切が」できないわけではなさそうです。

 しかし、今まで10年ちょっと就労してきて、一切の成果を挙げることができず、「穀潰し」「疫病神」と言われ続けたことも事実です。

 するとこの要因については、「他人と関わりのある仕事一切ができない」ということは言えるかもしれません。

 ただ、では仕事でなければ他人と関わることに問題がないのかというと、そういうわけでもありません。数少ない友人とも数ヶ月に1回会うのが限界です。

 したがって、「他人と関わることに問題があり、仕事においては他人と関わりのあるものは一切できない」という程度の言い回しに変更しようと思います。

②:やらなければいけないことが一切できないというのも言い過ぎです。今まで一度たりともやらなければならないことをしないで生きてきたわけではないからです。

 自分のやりたいこと、やってもいいかなと思うことと、やらなければならないことが重複する場合においてのみ、やらなければならないことが実行可能です。

 したがって、これは「やりたいこと、やってもいいかなと思うことしかできない」と変更しましょう。

③:これは裏を返せば、「十分ではない程度の収入を得ることはできる」ということになります。その通りの言い回しに変更します。

④:これは一般的な就労を不可能にする要因ではありますが、在宅の自由業であれば、行動に制限はかかったとしても、まったく不可能ということではないはずです。

 以上の考察から、①〜④の要因は以下の通りに変更となりました。

①他人と関わることに問題があり、仕事においては他人と関わりのあるものは一切できない
②やりたいこと、やってもいいかなと思うことしかできない
③十分ではない程度の収入を得ることはできる
④一般的な就労を可能とする程度の体力と気力はない

 こうすると、当初のものよりは少し希望が見えてくる気がします。
一人で家で(①④)、少しずつ(④)できること(②)を、いくつか組み合わせて(③)、十分な収入を得るということを目指せば良いということになるからです。

 しかし、今それを実現できる環境であるにも関わらず、収入は十分ではありません。さらに、ここで新たな阻害要因として

⑤成長できない

 が挙げられます。これも他の項目同様に、噛み砕いていくと、「若い人のように能力を向上させることが期待できない」ということではあるのですが、これがかなりネックになっていると思います。

 しかし、能力の向上は不可能だとしても、知識と情報を蓄積・整理することは可能なはずです。それすらもできなくなるのは、もう少し上の年齢になってからのはず(だと思いたい)です。

 なので、一人で家で、少しずつできることを、いくつか組み合わせて、十分な収入を得るための、情報と知識を集めて整理すること(⑤)を、少しずつやる(④)。ということが、ここからの僕の戦略ということになります。

 これもかなり幸運なことなのですが、現在親族の仕事を手伝いながら、日中の時間の大部分を自分の活動にあてることができる環境にいます。

 また、親からの経済的援助も、今年限りですが、有ります。この最後のモラトリアム期間で、自分の興味のある分野(テキスト・イラスト・音楽・コーディング・語学)を組み合わせて、なんとか経済的な危機を打破したいです。

 ただ、もしこの考え方がうまくいったとしても、おそらくそれは誰にでも通用するような汎用的な手法ではありません。

 ここまで幸運が重なることも滅多にないし、ここまで愚かで無能力な人間もいないのではないかと思うからです。

 ですから、僕個人の思案の結果出てきた具体策そのものではなくて、「自分の欠陥的性質を列挙して、そこから感情的な雑味を抜いて、具体的な行動につなげる」ということであれば、これは応用が効くかもしれません。

 しかし、こうして列挙したり文章にすることの正当性でさえ、あくまで個人の状況と性質に準拠するものなので、やはり他の方がどうすればいいのかということについて、僕は責任をもっていうことができません(だいたい、この考え方自体、まだ一切の成果が出ていません!)。

 とりあえず、2018/04/25当時の僕は、こういう、うすら間抜けなことを延々と考えながら一日を終えようとしています。ということだけを、ここに記録しておくものです。