つまらぬことを、ゆっくりと

 自分の望むものが世にないので作品する、という動機付けでいると、自分好みの作品に触れたときに「ああ、素晴らしい。俺はもういいや」となって何もする気がなくなる。祝福された無気力に陥る。

 それで済むならそれに越したことはない。しかしそのうち効力が切れて、また余計なことをし始める。

 どうも調子が上がらない、という時は、少しダメにするというか、生活習慣の分野において、自傷行為をするのが良い。夜中にコーヒーを飲んでしまったり、お菓子を食むことは、体にとって異常事態となるので、いざという時のための力が、ちょっと出る。

 そうやって、備蓄していたものを定期的に解放してやりながら、一方で本当の緊急時には備えておくというのを、ローリングストック法と呼ぶらしい。巷の人がお酒を好むのも、そういう戦法を無意識にとっているということなのかもしれない。

 ストレスの発散というのは、同時に気力体力を発散しているはずである。その証拠に、気力体力の乏しい人間は、ストレスだけを発散させる術を持たない。その分、いかにストレスを溜めないかということが重要になってくる。

 しかし、それは端から見れば、怠けているようにしか見えないのだろう。実際に怠けること抜きに防御や回復は無いわけで、そのために、いかに「怠けてもよい状況」を維持できるかというのが課題になってくる。

 スケジュールに極端な余裕を持つということは、具体的に成功している数少ない方策の一つである。現在、超低速でタスクをこなしているので、清算できないほどのストレスを溜め込まないで済んでいる。それはスケジュールを共有している相手にも言えることで、その「相手に負担をかけていない(気がする)」ということが、かなり肝になっている。

 SNS依存症もだいぶ落ち着いてきて、ゲームも勝てないのですぐやめて、時間がさらに余ってきたのは良いけれど、今度は体力がついてこない。せっかくの時間を、半日以上寝て過ごすようなことになっている。

 これについては、最近ようやく判明した「栄養不足」と、これからの季節、なんとか遅れを取り戻せそうな「運動不足」が原因なので、それらを解消するための具体的な行動を、使命感でも惰性でも、思い込みでも幻覚でもいいから、何かのきっかけで実践することだ。

 なにも鮮烈なことはない。地味で、退屈なことだけが、倦怠を破壊する。破壊というほどの衝撃もなく、ただほんの少し、たわむだけでいい。